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2006
08 22(火)

「背反にとらわれたその思考の行き着く先は理解せぬでもない。」

[ 五次元的思考之蒙昧:Diary]

最初にお断りしておくが、自分は教育の専門家ではない。たまたま教育心理学や社会心理学の表層にそろそろと触れる機会があっただけだ(そして今回はそれも役に立たない)。ITなら専門家と言えるかもしれないが、それは「職業にしている」という意味であってIT全般を横断して議論をできるような専門家たる専門家ではない。

では、話を始めよう。
ネットを徘徊していて「高城浩光@自宅の日記」さんにこのようなエントリーがあるのを見つけた。

RFIDタグ搭載ランドセルの校門通過記録で仲良しグループを割り出すという小学校教諭の発想は普通?

内容は上記のリンク先を読んでいただきたい。要約すると、立教小学校の先生がRFIDを使用した無線タグの実証実験に伴って、そこで得られた情報(たとえば通学時に校門を通過した時間など)を元に「仲良しグループを割り出す」といった用途に使える、と雑誌のインタビューで発言しているというのだ。

正直驚いた。この先生は、RFIDの情報でソシオメトリーをやります(できます)、と堂々とのたまわっているのだ。べっくらした。今日日、大声で言って拍手されるような事ではないからだ。
日記の筆者の高木氏はこのように述べている。

正直言って私の感覚では、この発想はクレイジーだと思う。しかし、根拠を持って批判する術はない。主観的な感想でしかない。人々はこれをどのように受け止めるのだろうか。

無思慮に実施されたソシオメトリーがどのように受け止められるかはコチラの記事に書かれている。残念ながらニュースソースを見つけることはできなかったが、これも要約すると、小学校で「一緒に遊びたくない子」の実名とその理由を書かせるアンケートが実施されて問題になった、というものだ。この事件によって、それまで学級運営に有効な手だてとされていたソシオメトリーそのものが「禁じ手」的な扱いをされるようになってしまった、契機となる事件である。しかし逆に言えば、それまではそのような方法論があることを保護者側が知らなかった、ということに他ならない。ソシオメトリーという方法論が、使う側と使われる側(保護者含む)でまったく違った印象を(とりあえずは)持たれる、という事だったのだろう。教師側は(あえて)それを無視していただけにすぎない(と思う)。
しかし高木氏が「クレイジー」と思うのはそのような「認識の食い違い」に寄るところだけではない。もっと重要なのは、

ランドセルRFIDタグ検知システムは、立教小学校が草分けとなってマスメディアで大きく取り上げられ、今では小学校だけでなく中学校まで含む多くの学校が「実証」実験を行うようになった。それらはすべて、「子どもの安全のため」として語られているが、立教小学校の石井教諭は当初から、「セキュリティーよりも利便性」という本来の動機を隠していない。

という点だ。
先に挙げた記事にも書いてあるが、このようなセンシティブな問題はその必要性をキチンと検討した上で、ちゃんとした配慮と計画を持って扱うべきものなのだ。自分は決して「ソシオメトリーという行為そのものがイカン」と思うのではない。しかしそれは厳格にコントロールされた状況下で行われるべきものであって、気軽にチョイチョイとEXCELで実施していいものではない。もちろん、RFIDによる登校時間管理はセキュリティ上役立つことだろう。しかしそれを隠れ蓑に収拾した情報が何に使われているのか、子どもや親は知るよしもない。この記事の先生は「どうせ分からないのだから(教師が)自由に使っていいのではないか」という認識を持っているように見える。しかしそれは倫理的にも情報セキュリティの観点からも肯定されるものではない(これは個人的意見だ)。むしろそれほどセンシティブな情報なのだから、それをどうやって(教師からも)保護するかを熱心に議論すべきではないのかと思う。
…とか考えていたら、その当の先生のブログ反省?らしきエントリーが乗っているのを見つけた。

僕の職場では、こんなことはしていません。 現状では、このような活用方法をとるつもりもありません。 子どもの同士の間で、よほどのことが無い限り、僕の職場ではしないと思います。

そりゃそうだよ。でも、掲載された「論座」の記事の全文を見たわけではないけれど、引用された部分からは可能性を語っているように見えた。それは確かにそうだ。しかし、それが積極的に推進すべきかのような文脈で語られていることが問題なのだ。
この先生はこうも語っておられる。

仲良しグループを見つけるのに、ICタグを使うのは異常? と問われれば、僕は、異常と答えるでしょう。 そのために、このシステムを導入するならば、異常としか言いようがありません。 その裏返しとして、いじめの問題や仲良しグループからの排除行為。 ICタグの登下校システムを見なければ、それが分からないのであれば、問題があると思っています。 しかし、そうならない、という保証はどこにもないのです。

開き直っているように読める。多分そうなのだろう。「その方が良くなるんだったら、何故いけないんだ?」なるほど、一理ある。学級もよくなり、先生の負荷も減る。素晴らしい事じゃないか?なるほど。この発言には2点ツッコミどころがある。反論と言うより、議論をするべき点、という意味だ。
先生は「そのために、このシステムを導入するならば、異常」と言っているが、その事をキチンと説明し、学校も教師も生徒も父母も社会までもがそれを是とするならばそれは異常ではない(マア、先生も言っているけど「ソシオメトリーしますからー」と言っておいて取ったデータにどれほどの意味があるかは分からないけれど)。むしろ「登下校の監視に使うためだった」データをこっそりと流用することにこそ問題があるのではないか。いやしかし、こっそり使うからこそ有効なんじゃないか?そういう議論もある。
二点目は「いじめの問題や仲良しグループからの排除行為。 ICタグの登下校システムを見なければ、それが分からないのであれば、問題があると思っています。 」という点。何に問題があるのだ?親にか?「分からない」教師にか?ICタグが存在する以前からそれらの問題はあったのだ。確かにそれを見極めるのは難しかろう。教師の手腕がもっとも問われるところかもしれない。確かにラクにしたい。正確に把握したい。だからといって技術的手段に飛びついていいかどうかは別の話だ。「先生だって忙しいし、最近の子どもは(携帯とかあるから)コミュニケーションが複雑でつかみにくいし、大変なのよ」という気持は大変よく分かる。それを技術がカバーできるとしたら、それは技術者としても栄誉な事だ。多分そう簡単にはいかないだろうけど「このシステムのおかげで”いろいろ”便利になりました!」と言われたい。言われてみたい。ただそこには子ども(管理される側)がどう思っているか、という観点は抜けている。でも管理系のシステムって大体そういうものじゃない?(たとえば私用メールを監視するシステムとかさ…。)もちろん、管理される側の同意も納得もないままに実施されるのはどうよ、という話はある。
結局の所、先生の話はこうまとめにはいっている。

もし、一人でも、この方法で命を救うことができるのであれば、僕は、この方法を喜んで使うと思います。 この方法を使ったからと言って、命を救うことは出来ないかもしれません。 でも、これまでとは違った何らかの情報を得る可能性があるのです。 どんな情報でも手に入れられる可能性があるならば、それを入手したいと思うのは、いけないことだとは考えていません。 もし、命を救うことができるのであれば、そう思うものではないでしょうか。

やっぱりやりたいんだ(笑)。まあ、そういう気持ちが分からないでもない。「よい方向に向かうだのに、どうしてそれ(技術)を使ってはいけないのか?」現場で日々子どもに向かい合い、困難に立ち向かっている先生の叫びのように聞こえてならない。会社の人事課が同じようなことを(たとえば電子メールやIPメッセンジャのやりとりを監視しして)コッソリやったとしてもそんな大騒ぎにはならないかもしれない。学校だから、教師だから、より風がキビシイ向きもあるかもしれない。
しかし、なればこそ、そしてRFIDの実証実験に携わっているという立場だからこそ、この雑誌記事は軽々に過ぎたかもしれない。「そのような(別の使用方法に流用されるような)危険性がある」ことに警鐘を鳴らしたのであれば違っただろう。件の記事は、あたかもパッチのないセキュリティホールを公開してしまったかのような状態になってしまったのだ。

そして先生は、RFIDの「活用」方法を検討している様子だ(ブログの翌日のエントリー参照)。それが慎重に検討され、議論され、場合によっては外部のアセスも受けた上で実施され、管理されているのか?十分に管理されていない手法には、どんな金科玉条も言い訳にならない。その点を是非、考えていただきたいものだ。「技術者の暴走」を危惧するような発言が見られる。それを非技術者(教師)がちゃんと制御せねば、と言いたいらしい。ひとつの文民統制ということか。ならばその文民(教師)の暴走は誰が監視し、抑止するのか。教師は選挙で落とすことはできないのだ。

ここに引用した先生のエントリーを通して読むと、なんというか建前論的な表層に「でもね?」という本音部分が透けて見える。その本音が決して悪いことなのではなく、もっと学校をよくしたいという意識から出ていることは疑うべくもない。だったら建前論なんて語らなくてもいいのになぁ、と思うのだが、そこがこの問題の難しいところを表しているのだと思うよ…。

#あー、でも、こういうこというと「じゃあ今度からは黙ってやろうっと」ってなっちゃうよね。自分でも多分そうするものな。キチンとしたコントール下で「黙ってやることにしよう」という判断が下されたのであれば、それは仕方ないかな、と思うけど。
##お前ならどうするか?…そうねー、大学にアイデアを持ち込んで大々的に実験をしたい。学部生にRFIDタグをばらまいて、センサーを各方面に取り付けて行動調査するの…そんでそのデータをグルグル回すの…たーのしーぃ(←お前が一番クレイジーだよ)
###最終的には死んだはずの人のIDがビルの最上階で反応してて、おそるおそる行ってみたら鳥が…たくさんの鳥が…!方舟を破壊するんだ!!(機動警察パトレイバー 劇場版 参照)
####もしくは、バッジをつけていないと対人レーザーで撃たれるんだぜ!
(どんどん話がそれるのでこの項終わり。)

投稿者 ogre : 2006年8月22日 08:15



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